13件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

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新宮市議会 2019-12-12 12月12日-04号

歴史文化が感じられるからこそ、西村伊作邸や旧チャップマン邸は保存されていく価値がある」、若干俗物的ではありますが、江戸期新宮城址水野家墓所明治大正期西村伊作邸や旧チャップマン邸だけではありませんが、歴史文化が感じられ、その中に価値観精神性が感じられるからこそ多くの外国人がこの地を訪れていただけるのではないでしょうか。

新宮市議会 2019-03-08 03月08日-03号

平成23年の紀伊半島大水害により事業凍結、再開後、複合型1棟案から機能分離型3棟案に変更し、事業費55億円を予定、その後、事業費が約60億円に膨れ上がったため、熊野学センターを中止し2棟案に再度変更、55億円の事業費を堅持、さらに、建設予定地文化財保護法に基づく周知の埋蔵文化材包蔵地であり、かつ現存する古地図等により試掘調査を行ったところ、江戸時代武家屋敷遺構が発掘されたため本格調査実施江戸期以前

新宮市議会 2017-06-23 06月23日-06号

ここに唯一現存する江戸期の建物をぜひ公開し、あわせて新宮城址大手門付近国史跡指定の拡大に早期に着手すべきではないかと、私は考えます。 担当部署文化振興課でありますが、スタッフの皆さん日常業務を行いつつ、文化複合施設建設にも忙殺されております。そういった現状は理解するところですが、水ノ手の大手門石垣など、観光ガイド皆さんがお客様を案内して訪れてもいただいております。

新宮市議会 2016-12-16 12月16日-05号

◆12番(上田勝之君)  阿須賀神社世界遺産に追加登録され、伊佐田では修復中の西村記念館や、活用方法が検討されているチャップマン邸、木々が整理され全容が見えつつある新宮城跡保存活用が議論されている城下町遺跡群、そして、速玉大社から寺町通りを経て神倉神社へとつながり、高倉下命丹敷戸畔と言われる先住民族の神代の時代から、蟻の熊野詣の中世、そして水野家に代表される江戸期から幕末期大石ドクトルを初めとする

新宮市議会 2016-06-23 06月23日-05号

江戸期新宮城跡城下町遺跡、神話から中世にかけての神倉速玉大社間、それぞれへのエリアに点在する施設を有効に利用しながら、熊野学を一つの大きなセンターとしてではなくとも、それらをめぐっていただけるような熊野学の仕掛けをしていくことが肝要と考えます。 特別委員会でも話しますけど、すみません。ちょっと提案なんで、ごめんない。 

和歌山市議会 2009-11-30 11月30日-03号

Aゾーンは、西の丸広場江戸期の宿場を模した芸術活動を行う方々を支援するユースホステル的な宿泊施設をつくります。その中には観光土産品コーナーも設置する。 Bゾーンは、伏虎中学校北校舎あたりエリアで、明治時代の鹿鳴館を模した施設をつくり、芸術、特に伝統的な芸術ではなく、新しい個性的な広い意味での芸術を学ぶ場としての学校としてはどうなのか。

高野町議会 2009-03-12 平成21年第1回定例会(第6号 3月12日)

江戸期末期山田豊国という儒学者がいますけれども、その方が、実は板倉藩という藩を立ち上げた話がございます。その板倉藩を現在のお金でしますと、30億近いお金だそうです。これはインターネットにも載ってますから見ていただいたらおわかりと思いますけれども、その弟子に河井継之助という、これは越後長岡藩の家老ですけれども、この方が、実は官軍に追われます。

新宮市議会 2009-03-11 03月11日-06号

私は、いつも江戸期、幕末のプチャーチンと、日露親善交渉の当事者でその任に当たりました川路聖謨を非常に尊敬いたしております。彼は、昔の言葉で言えば「二君にまみえず」ではないですが、新政府には仕えないと、そういうことの中で、幕末末期新しい政府が開かれたときに自分の役割は終わったということでみずからの命を絶った、そういう人であります。

新宮市議会 2008-12-17 12月17日-06号

この新宮市の小中学校の教育環境の改善、「蟻の熊野詣」と言われた中世から城下町としての江戸期、大逆事件に代表される近世までの知的観光資源の掘り起こし、公共施設の移転、知的観光交流の推進による中心市街地再生、第一次産業の再生耕作放棄地等農地再生、山林・林業の再生限界集落課題解決など、これらの事案に対処し、働く場の確保を行わなければなりません。

高野町議会 2008-10-02 平成20年第3回定例会(第3号10月 2日)

江戸期末期山田方谷という方が、江戸期を立て直した、そして明治維新というのが動き出すきっかけをつくった、山田方谷の話の中に、何が一番大事かということを言われておるんですけれども、地域コミュニティということを言われております。その何が基本になるかと言えば、信頼がその地域を発展させる以外にないということを、山田方谷江戸期の最後に言ってあるわけです。

和歌山市議会 1993-09-22 09月22日-06号

これについても本月8日、関大の薗田教授を会長とする和歌山地方史研究会からも、埋もれている江戸期石垣堤遺構が拡幅により破壊されるとして、県教委文化財として早急に調査するよう要望書が出されています。 第4点として、この場所は、戦前は県立和歌公園の一部として、1925年には県の名勝に指定され、現在まで保護されてきた。

和歌山市議会 1993-03-12 03月12日-09号

不老橋につきましては、江戸期、嘉永4年、1851年に紀州藩大御所徳川治宝公和歌まつりに際しまして、御旅所を設けましたときにかけました橋で、石づくりのアーチ橋でございます。その建造技法におきまして、中国とのかかわりも深いことが指摘されておりまして、本市に存在する歴史的建造物の1つであります。現在もそのように評価しております。 

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